アーティスト紹介

WSC #021 渡辺結樹

Yuuki WATANABE

[G-tempest]

衰退する怪獣造形にもたらされた「一縷の望み」
平成ゴジラ映画が育んだ突然変異体

 かつて、ガレージキットシーン全体を躍進させる礎を築き、初期ワンフェスの屋台骨を支えた“怪獣”というジャンルが、予測だにしなかったほどの勢いで失速・衰退している。「当時('82~'85年)は昭和30年代生まれのゴジラ&ウルトラ世代がボリュームゾーンを担っていたからこその人気だった」「金型成形の安価なマスプロダクツが大々的な進化を遂げた結果、怪獣のガレージキットは“躍動感”や“生物的表現”というアドバンテージを失ってしまった」等、その原因は複数存在するわけだが、そのなかでもっとも問題視すべきは、「怪獣造形の正解なんてとっくの昔に出揃ったわけだし……」という、“ガレージキットスピリッツ(つねに圧倒的であり続けようとする造形精神)”に背くようなだれきった意識ではないかと思う。実際、怪獣のガレージキットを取り巻くここ最近の状況は、寅さん映画のようなプログラムピクチャー的造形(コレクションには適する、造形的進化が途絶えた変化なき造形)を求める人と、それへ従順に応える造形家が大半を占め、新たな造形表現や奇抜な発想などはほとんど生まれていないと言ってもよい。結果、この道20年選手の作品と新人造形家の作品との見分けさえ付かぬ状況が生じ、怪獣造形はまるで盆栽のよう「時間が止まった世界」と化してしまったのである。
 そうしたなか、たとえ怪獣造形ファンでなくとも、「コイツは明らかに現在の停滞した怪獣造形に満足していない」という意志を読み取ることのできる希有な才能が現れた。平成ゴジラ映画が育んだ突然変異体にして、歴代の怪獣造形家たちへまったく迎合しようとしない姿勢を見せる石川県在住の孤高の勇、それが渡辺結樹だ。
 美大在学時、就職活動をせずにガレージキットメーカー設立を志したというエピソードを聞くと「単なるアホちゃうか?」という気がしないでもないが、ガレージキットの怪獣造形が失いかけていた「大手メーカーにできないことをやらなければ意味がない」というイノセントな命題を実際に具現化していく、その発想のやわらかさとパワフルなテクニックには素直に拍手を送りたい。そして、「パーマネントの版権を個人取得するに至ったんで、ぼくはもう立派な“メーカー”です。だからもう、ワンフェスの存在に頼りきっているアマチュアディーラー連中といっしょにしないでください」とうそぶく強気な態度には、たとえそれがはったりであったとしても「よし、じゃあこの先はオマエに任せた!」と言いたくなるだけのものがある。
 G-tempest、渡辺結樹。怪獣造形ファンならば、この先絶対にマークし続けていくべき才能だろう。

text by Masahiko ASANO

わたなべゆうき1979年8月31日生まれ。それまでオタクカルチャーとまるで無縁だった中学時代、『ゴジラVSキングギドラ』('91年作品)を観て突如スイッチが入り、“ゴジラオタク”をアイデンティティとする人間へと豹変。高校時代、ゴジラグッズを収集していく過程で初めてガレージキットの存在を知るが、ファーストインプレッションは「ふ~ん、こういうものもあるんだ」程度で感動はゼロ。が、美大進学後、ゴジラグッズ収集が加速した結果から、当初はさほど気に留めていなかったガレージキットにもチェックが入ることとなり、ワンフェスやJAF・CONなどへ「ゴジラのガレージキットを探すため」に顔を出しはじめる。そして'00年、「美大(デザイン科)で習得した技術を生かせば自分にもできそうだ」といった理由からディーラー参加を決意し、夏のワンフェスにて“G-tempest”名義でデビュー。'03年11月にはイベント運営団体に頼らぬパーマネントでの版権を取得、“アマチュアディーラー”から“ガレージキットメーカー”へとステップアップを果たしている。

Webサイト http://g-tempest.com/

WSC#021プレゼンテーション作品解説

TM & © 2002 TOHO CO.,LTD.


3式機龍(メカゴジラ)
高機動型

※from 劇場映画『ゴジラ×メカゴジラ』
ノンスケール(全高235mm×全長410mm)レジンキャストキット


商品販売価格
ワンフェス会場特別価格/20,000円(税込)
ワンフェス以降の一般小売価格/33,000円(税別)

(※販売は終了しています)


 いまやすっかりマイナーなジャンルと化してしまった怪獣ガレージキットのなかで、“平成ゴジラ”にこだわり続ける孤高の新星、渡辺結樹。ワンフェスでのディーラー参加を足がかりにパーマネントのガレージキットメーカーを志す彼が、前回のワンフェスにてお披露目展示を行い、その強烈な存在感をもって怪獣ファン以外の人々からも熱い視線を集めた超弩級作品が、この“機龍(劇場映画『ゴジラ×メカゴジラ』より)”です。
 注目すべきはやはり、ただ単に映画撮影用の着ぐるみを写実再現するのではなく、オタク的感性を駆使して劇中における機龍の設定を解体~再構築した、「生身のゴジラに外装を被せていく」という秀逸な造形コンセプト。全154点という莫大なパーツ点数が有する意味合いは、ぜひとも一度、未組み立てのパーツ状態にて確認していただきたいところです。また、レジンキャストの成形色をブラックにしたため、塗装をせずに仮組みするだけでも十二分な存在感を放つ商品となっています。

渡辺結樹からのWSC選出時におけるコメント

 ときは1980年ごろ、オタクという文化内の活動のひとつにガレージキットというものがありました。当時、日本に入ってきて間もなかったこの活動の中心と言えるジャンル、それが“怪獣”でした。
 ときは流れ、オタク文化の細分化が進むにつれ、状況は変わっていきました。そして20年後、怪獣のガレージキットはガレージキットのなかでもどマイナーな一ジャンルにまで衰退していたのです(参考文献/あさのまさひこ著『海洋堂クロニクル』)。
 そんな絶望的状況のなか、ひとりの若者が無謀にも怪獣のガレージキットで身を立てて行くことを心に誓いました。彼の野望は、ガレージキットメーカーとなり、この世界で天下を獲ることだったのです。
 それからさらに何年かが経ちました。若者は腕も上がり、野望の第一歩を踏み出すべくひとつの作品を作りました。彼はこの作品をメーカーとしての第一作にしようと考えていたのです。造形開始から一年後、作品は完成し、ワンフェスではいままでにないくらいの注目を浴びました。若者はその反響に満足し、この作品の一般版権を取得するために行動を開始しました。版権元との交渉も進み、すべてが順調に思えたある日、一本の電話がかかってきました。その電話は彼に衝撃を与え、さらなる苦難の道への道標となったのです。その電話の主は、「自分は海洋堂の者だ」と名乗り、そして……。
 以上が私がWSCに選出されるまでの経緯です。マイナージャンルゆえのしがらみなどいろいろこまかい事情があって、この話を受けるかどうか悩んだのですが、博打だと思って受けました。今後どのような道を歩んで行くかはわかりませんが、今回のことをバネにしてさらなる飛躍を目指していく所存です。
(注/ この文章には多少誇張や脚色が含まれている場合があります。)