アーティスト紹介

WSC#113 MIDORO

[MIDORO]

ダイナミックな造形の中で際立つ「闇の深さ」と
デジタルを避け続けるアナログ環境ならではの凄み

 これから語ることに対し「何を言っているのかさっぱり分からない」という人も少なくないと思うが、MIDOROの製作する造形物は非常に闇が深い。別に「夜になると動き出しそう」といったオカルト話ではなく、彼女が手掛ける造形物は自身の有する闇の部分をダダ漏れ状態で第三者にそのまま伝えてくるからだ。
「自分の造形に強みがあるとしたら、自分が作っているものの形状に違和感や嫌な箇所を見つけた時に感じる超絶なわがままさですね。嫌なところは絶対に思いどおりの形状に修正しないと気が済まないので、嫌なところが直らないくらいならば原型粉砕ぐらい平気でするし、締め切りが近付いてきてヤバくてもゼロから作り直すという真似を平気でしてしまうという……」
「逆に弱みの話で言うと、上手くいっていても上手くいっていなくても、その理由や改善方法を自分で言語化できないんです。勘でいじっていたらよくなった、もしくは悪くなったということがほとんどで……とくに上手くいかない時に問題を言語化して冷静に解決法を選択することができないのが製作中につらくてつらくて」
「ちなみにZBrush Coreを半年ほどかけて勉強したので、比較的簡単にデジタル環境へ切り替えることは可能と言えば可能だと思っています。でも、デジタル環境に切り替えることは当面ないと思いますね。
 というのも……ファンドやスカルピー(共に造形用粘土)ならば、硬化しはじめたあとのパーツでも力ずくでぎゅう〜と曲げることができるじゃないですか、微かにでも。その“ぎゅ〜”感が好きなんです。デジタルではそういった“ぎゅ〜”感が使えないじゃないですか。だから“このキャラは3DCGで作ったほうが明らかに向いているな”と思えるキャラと巡り合わない限り、私はファンドやスカルピーを使い続けるんだろうな、って」
 とにかくその感性が独特ぎて苦笑するしかないのだが、しかし、彼女ならではの闇深く先鋭的な(そしてハードエッジな)造形センスや表現力をきちんと見抜いている人も当然存在する。京極夏彦 著『ヒトごろし』(新潮社刊)のカバーに用いるフィギュア製作を依頼されたというトピックが存在するのだ。装丁を担当されたデザイナーも思い切った手に出たと思うが、それだけMIDOROの作品がインパクトに溢れていたのだろう。
 MIDOROの造形物は、この先も闇深さダダ漏れ状態のままでまったく問題ない──実際にそう思わせるだけのものが内包されているのはまちがいない。


※本プレゼンテーション作品の詳細につきましては、「ワンダーフェスティバル2023[冬]」会場内でのみの公開となります。会場内のワンダーショウケースプレゼンテーションブースにてご確認ください。

text by Masahiko ASANO

みどろ生年月日非公開。漫画、アニメ、ゲーム、インターネットが禁じられた家で育ったのだが、幼稚園から通っていたピアノ教室に漫画の本棚があり(そこに丸尾末広、花輪和一、蛭子能収、楳図かずお、山岸凉子、魔夜峰央が揃っていた)、意味は分からないものもあったがとにかく漫画自体がめずらしくて読み漁り、それがいま現在の「よい意味での闇深さ」に繋がっていくこととなる。高校で電車通学になったため街中の本屋に立ち寄るようになり、学校で使えるインターネットを通じリアムタイムで流行っている漫画やアニメ、造形文化に通じはじめることに(ちなみに造形物で最初に影響を受けたのは美術系の雑誌に掲載されていたハンス・ベルメールの球体関節人形で、「生きているようなものを作るってすごいことだな(まるで人間を創造したプロメテウスのようだ)」と感動して粘土を触りはじめる。その後美大に進み、美大卒業後の2013年から“MIDORO”名義にてワンフェスへ参加しはじめる。なお、この先の造形活動は「無理せず楽しく続けること」「好きなものに対し失礼にならないよう敬意を持って作ること」と語る。

※MIDOROからのコメント

 今期『ワンダーショウケース』選出いただきましたMIDOROと申します。
 造形はその多くの時間を黙々と机に向かい、一見そのほとんどの時間は静かで孤独です。地味で、手順が淡々と積み上げられていき終わる、おとなしく閉じた行いだと感じる人もいるかもしれません。しかし私にとっては、造形机の上とはつねに熱狂と騒動の現場です。削れば凹み足せば凸らむこんなに単純なことの結果が、数mmの置きまちがいや考え違い、もはや理由もわからないきっかけで、希望と絶望、ゴールと振り出し、意味と無意味、宝物とゴミ、のあいだを乱れ交うのです。そんなよいと悪いの振り幅のあいだでジェットコースターのように乱高下してやまない完成までのいろいろが、造形というものの一見した単純さや静けさに反する裏切りでつねに私を驚かせるのです。それになんとか抗って、作った意味がここにあったと完成を見て思いたい。作業的に知識や技能が足りずにかたちを作れないということはなくなってきたとしても、求めるものはまた大きくなり、この手に負えなさはますます募るばかりでしょう。まだまだ深入りする必要がありそうで、うれしくも途方もなくも思います。
 造形とは、形状を吟味し正解と見比べるところからはじまりますが、造るということは、手を下したその形が、それを見た人にどんな感情や印象をもたらすか、その作用を作り出すこと、分かることだと思っています。孤独に作業する造形者たちはそうして自分の作品を見ていてくれる誰かをいつも感じ、繋がっているのだとも感じます。そうした繋がりの形であるワンフェスでこうして自身の作品を記録していだたき、見ていただけることを大変うれしく思っています。